京都府福知山市で、
福知山城の北側に本店を構える足立音衛門。

*

栗のふるさと「丹波」の地で世界中から厳選した素材を使い、一つ一つ素材に向き合い、安心安全で、心を込めた製品をご用意しています。

京都府指定文化財としての音衛門

大正時代の建築美を今も伝える 京都府の指定文化財

旧住宅の全貌

福知山の歴史は水害との戦いの歴史でもある明治40年の大洪水の際、大規模な築堤工事が行われました。
この邸宅は堤防の完成後、堤防の安全性を示すためにこの地を選んで建設されたと言われています。
城下通り沿いに建つ邸宅は、明治末期から大正初期にかけて建築されました。
店舗として利用している主屋の他に、2階建ての洋館・茶室・御殿・撞球場など9棟が840坪の敷地内に建っています。

堤防沿いの高低差を巧みに利用して配置され、景観を作り上げる和洋折衷のモダンなたたずまいは、
西洋文化を取り入れた素晴らしい建築美を今に残しているとして1997年に府指定の文化財となりました。

建築年代

  • 洋館:大正元年(1912)
  • 御殿:大正六年(1917)
  • 撞球場:大正時代
  • 主屋:大正元年(1912)

洋 館 (一棟)  

木造、建築面積六六・四平方メートル、 二階建、寄棟造、銅板葺、玄関車寄附属

附 附属室一棟

御 殿 (一棟)  

桁行一九・四メートル、梁行九・五メートル、二重、入母屋造、桟瓦葺、一部銅板葺、正面渡り廊下付属、切妻造、桟瓦葺、渡廊下及び便所棟附属、桟瓦葺

附 中門 一棟

附 棟札 一枚

撞球場 (一棟)  

木造、建築面積四四・一平方メートル、一重、寄棟造、桟瓦葺

主 屋 (一棟)  

桁行一三・七メートル、梁行一二・七メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺

附 茶室 一棟

棟札 一枚

幣串 一本

附 離れ 一棟

土蔵 二棟

洋館

洋館は敷地内の中央南側に位置し、東西 約9.1m、南北約7.3mの木造2階建ての 建築物です。

大正8年に上棟され、もともと独立したものであったと考えられていますが、現在は北側に附属棟を擁し、北側 の御殿へとつながっています。

外壁

主屋から続く木壁の内側には 文化財が眠っています。

主屋

石垣の上に築かれた切妻造り平入りの木造2階建て 町屋建築です。

御殿

大正6年に上棟された木造 平屋建の書院建築で、外観 は入母屋の屋根を二重に備え、西側は棟を一段下げて 落ち棟とし、東端には入母屋の角屋を突出させる変化に富んだ構成となっています。

現在は、木壁はなく駐車場となっており、主屋を店舗として活用しています。
洋館・茶室・撞球場・御殿・土蔵は外観のみご覧いただけます。
敷地内の庭などは自由にご覧いただけますが、店舗以外の建物の内部にはお入りいただけませんのでご了承くださいませ。
喫茶コーナーはございませんが、座れるスペースを店内・店外に設けてございます。
当店でお買い上げのケーキはご自由にお召し上がりいただけます。

店内の様子

 田舎に帰ってきたような 懐かしさを感じてもらいたい…
私どものお菓子を食べて 「おいしい」より「懐かしい」とお感じいただけると幸せです。
福知山城のそばで、ゆっくりとお買い物をお楽しみくださいませ。

京都・福知山城の近くに本店を構え、丁寧に仕立てた焼き菓子をご用意しております

音衛門本店の南側に位置する 「福知山城」

福知山城は、天正8年(1580)ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として新たに城を築いたのが始まりとされています。以来、戦乱の時代、城主が交代する中、順次整備が進められ、慶長5年(1600)ごろに完成したようです。
明治時代のはじめに廃城令で取り壊され、石垣と銅門(あかがねもん)番所だけが残されていましたが、市民の瓦1枚運動などの熱意によって、3層4階の天守閣が、昭和61年(1986)11月に再建されました。
天守閣は、望楼型の独立式を基本として復元され、初期天守閣の特徴がよく現れたものとなっています。
石垣は、築城当初の面影を残すもので、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる、自然石をそのまま用いた豪放なもので、福知山市の指定文化財となっています。
一見乱雑に見えますが、石材は奥に長く用いられて、強固な石垣が組み上げられています。
石垣内部に石塔類が使われるなど、安土城や二条城など織田信長にかかわるお城に共通する特徴を持っています。
深さ50m(城郭の本丸内湛水井としては日本一の深井戸)の「豊磐(とよいわ)の井」は、今も海抜30mの高さまで清らかな水をたたえています。
天守閣内部は郷土資料館として公開し、古代から近代にかけての、城や福知山にかかわる歴史資料を展示しています。
(福知山市オフィシャルHPより)